番外:裁ち間違い

クリニックとは関係ありませんが、珍しいモノが入荷したので記録しておきます。
  

柄付けが少しおかしいです。着物のことをよく知らない人でもわかるんじゃないでしょうか。
右背(中央右寄り)の下の柄が上下逆さまです。右袖も逆ですね。左背(中央左寄り)にまったく柄がありません。むちゃくちゃに裁断したのですね。全体に柄がずれてきています。

  
持ち込んだ得意先さんに、「こりゃ酷いですね」と話すと、「いやいや、珍しいものではない。バブル期は仕立てが追い付かなくて、見習い中の和裁士も仕事をさせられていた」と。
そうかなあ。その頃は問屋に勤務していましたが、さすがにそんなのは見たことがない。また見習い和裁士であっても、裁断を間違うと取り返しがつかないので、そこは先生が見てやれよと思います。
まあ、お客さんも知らずにそのまま着続けていたらしく、余計気の毒です。そんなものがまかり通っていたとは、憂うべきことです。

もやぼかし「K社T5」


古い色留袖で、シミがひどいです。
  

このようにかなり広い面が変色してしまっていて、シミ抜きができません。
  

「抱きジミ」と呼ばれる卵型のシミが両胸にできています。
  

その拡大
非常に汗をかきやすく、シミの出やすい場所です。
  
地色を染めることによって、このシミを隠したいという要望です。
指定されたのがこの色です。

これがなかなかに難しい
地色の広い面積を染めるには、用途によって色々な方法があるのですが、ぼかしは「引染」と呼ばれる方法でしかできません。最もイメージされやすい染め方で、液状の染料を刷毛で染めていきます。
引染の特徴として
・ぼかしなど多彩な表現が可能。
・元色、元シミの影響を受けやすい。
などがあります。
  
引染で地色を染めるなら、共濃い(同系色濃いめ)がセオリーです。写真では白っぽく写ってますが、実際はネズミみの青で、これに濃い青をかけても茶色いシミは隠れません。シミを隠すためにはやはりシミと同じような茶系の色にする必要があるわけです。
その意味で指定の色は正解なのですが、引染は申しましたように、元色、元シミの影響を受けやすいのです。
  
どういうことかといいますと、新品の白生地であればそんな心配はないのですが、扱い品が古物だと、目に見えないような汚れやシミ抜きの履歴によって、染料の吸収のいい部分、悪い部分があります。それを染めると当然染めムラになるのですが、それが同系色だとさほど気にならないものです。ところがこれは、青と茶ですから、色の性(色相)が全然違います。ちょっとした吸収の差が大きな色の違いになって現れてしまいます。
  
また、「ボカシ足」というグラデーション部分も難しい。その濃淡までも合わせてきっちり重ね合わせることは至難です。ちょっとした出入りで、青い部分と赤い部分ができてしまう。これは大変見苦しくなります
  
シミを隠す力も弱いです。シミのように異物があると、液状の染料はそこへ寄って行こうとするので、やはり染めムラになります。そして、輪郭のぼんやりしたものならともかく、際ヅキのあるものは、その際がどうしても消えてくれない。
  
そこで、「もやぼかし」にするよう提案しました。襦袢によくあるような、全体をもやにしたぼかしです。百聞は一見にしかず。御覧いただきましょう。


  
抱きジミの部分はこんな感じに。

  

ボカシ足の部分はこんな風になってます。まあまあ上手くいったほうです。
  
もやボカシは、このようにシミを隠すだけでなく、色ヤケを隠すときにも有効な染め方です。「絵羽筋」といいますが、縫い目の中と外でクッキリと色の違いが出ることがあります。シミのときに説明しましたが、こういう輪郭のクッキリしたものは隠せません。元と同じ寸法に仕立てる場合や、袖山などがぼんやりと変色している場合にはうってつけです。

目引き依頼「I社218」

若いときに作った着物が派手になったので、地味にしたい。
よくある依頼です。

この小紋も赤が強いですね。
伝票には「薄いグレーをかける」と書いてあります。
  
しかし、薄いグレーをかけてもあまり効果はありません。
パソコンでそのイメージを作ってみますと

このようになります。
ほとんど印象は変わりません。
よく見比べてようやく色の違いが認識できる程度。
  
もっと濃くしてみましょうか。

ここまで濃くするとそこそこいい感じにはなりますが、
まだ赤みが気になるのと、柄が消えそうになっています。
  
色相と濃度の関係を考えてみましょう。
三原色の赤、黄、青を並べて白黒写真に撮ったとしましょう。
赤は黒っぽく、黄色は白っぽく写っているはずです。
赤が白っぽいならそれはピンクを通り越して桜色なのでしょう。
濃い黄色というものもなくて、それは原色の黄色と較べると、赤みが加わってオレンジがかっているはずです。
また、絵具の黄色に黒を加えると、それは利休色という、黄緑のような色になります。
赤みを抑えようとして色をかける場合、グレーをかけるというのも悪い考えではないのですが、
多色使いの場合、ほかの色目ばかりが地味になってしまって、
赤みは最後の最後までなかなか思うように地味になってくれません。
また本件の場合、一方の色がグリン系で赤の補色ですので、尚のこと赤がきつく感じます。
  
作戦としては、赤茶系の色をかけて、全体に赤〜茶系の色に統一することです。
グリンの中に赤があるのと、茶のなかに赤があるのとでは、同じ色でも印象が違います。
お客様にはその方向で了解を得ましたので、それで進めてみることにしましょう。

匂い袋による変色「E社」

久しぶりに興味深い事例に出会いました。
  


畳んだときに重なり合う部分を貫通するように変色しています。
畳紙も変色してしまっています。
また、着物を広げたときに独特の芳香臭がしました。
匂い袋による変色と見て間違いないでしょう。
ただし、その成分は複雑で、変色のメカニズムはいまだに解明されていません。
  
得意先さんは、「吹雪を入れてはどうかと消費者に提案してきた」と言います。
柄部分は吹雪が入っているので、それを模して、
変色部分を柄として見られるようにしてしまおうという作戦らしいです。
一箇所ぐらいならそれもアリかもわかりませんが、
こうお行儀に並んでいると、いくら柄を模しても無理があります。
  
もやぼかしをお勧めしました。
襦袢によくあるような、二色〜三色でもやもやと雲模様のように染めるやり方です。
変色部分をもやの一部として紛らしてしまおうという作戦です。
  
吹雪とは、上がりも値段もずいぶん違ってきますから、
照会の後返事ということで、現在保留扱いです。
あまり面白がっては消費者の方に気の毒ですが、
ここまでハッキリと症状の出た例は貴重です。

50歳地味に「Y社5484」

赤系の柄色が派手なので地味にしてくれという依頼です。
ただ、妙な指定があって、
「大きな柄だけ彩色せよ。細かい柄は彩色しなくていい」というのです。
全部彩色するよう強く勧めましたが、聞いてもらえません。
  
じゃあ、なぜ全部彩色しないといけないのか。
ほとんど全体が地味になっても、たった一つ赤い花があるだけで、
そこだけが特別に目をひいてしまい、
結果全体として落ち着いた感じにはならないからです。
全部彩色したら70歳で、半分彩色したら35歳。
そんなことは絶対にないのであって、
この手の仕事は虱潰しに残らず彩色しないと効果がありません。
  

加工前の写真を撮ってないので、
裏から撮ったものを反転しました。
柄が不鮮明ですが、色はそのまま残っています。
  

加工後の写真です。
よく見ると、濃いピンクの牡丹や立ち木が地味になってますが
全体として、全然地味になってませんね。
  
予算が出ないから、という理由で
指定箇所だけの加工をさせられましたが、
安物買いのなんとやらで、消費者にしてみれば、まったく捨て金です。
  
結局追加の加工依頼がきたわけですが、
2度に分けるほうが1度に済ますより割高になるわけで、
その他輸送費や何かもかかっていることでしょう。
皆が無駄な働きをせねばならず、誰も喜びません。

樹脂吹雪「K社22-9」

前回のロウケツ吹雪に続いて今回は樹脂の吹雪です。
「乗せの」吹雪といってロウケツと区別することもありますが、
捺染あるいは染型を使った吹雪と混同することがあり、
やはり「樹脂の」という表現が適当だと思います。
  
前回でいう
A)地色はそのままで吹雪を乗せる
の方の仕事です。
  
目引き(地色も柄も関係なく、一様に色をかけてしまうこと)の結果染めムラが出ました。
それを吹雪で隠してほしいという依頼です。
  
染めムラが地色の共濃い(同系色の濃い色)に出てますので、
同様に共濃いの吹雪をいれます。
染めムラなり、シミなり、隠したいものと同じ色でないと隠れません。
  

加工前
  

加工後
  

アップ
  
このように柄を巻く(柄にかからないようよけてぼかす)ことができます。
エアブラシのようなもので作業しますので、、吹雪が思わぬ方向に飛ぶことがあり
柄にかからないようにするためには、タオルで覆ったりということが必要です。
込み入った柄だとそれがかえって大変な手間で、
むしろエンブタ(マスキング)をした方が、楽できれいです。
エンブタのほうが手間賃が高くつくだろうという思惑で、
ぼかしてくれ、という指示を出される方がいらっしゃいますが、
柄によっては、それがかえってやりづらいことがあります。
  
ご覧のように、地色の印象はあまり変わりません。
ですから、派手にしたい、或いは地味にしたいという目的で、樹脂の吹雪を使うのはお勧めできません。
  
今回は染めムラの処置でしたが、他にも、
・絵羽筋のごまかし
・スレ(摩擦によって生地が毛羽立ち白く見えること)のごまかし
などに有効です。
  
前回に倣って、長所短所をまとめてみます。
  
長所
・染料より地色の影響を受けにくいので、色の選択肢が広い
・ぼかすことも、柄を養生することも比較的容易。
・裾だけ、袂だけなら、仕立てたままでも加工できる。
  
短所
・高級感に欠ける
・粒を大きくするとにじんで汚くなるので、細かく入れるより仕方なく、模様として弱い。

ダック商品にロウケツ吹雪「Y社M58」その2


これが染め上がりです。
吹雪といわれる斑点状の模様の色は元の地色です。
蝋を置いたので、染まらずに残っています。
濃い地色は新たに上から染めたものです。
  
誤解が多いのがここで、
A)地色はそのままで吹雪を乗せる
B)吹雪を入れて地色を染める
これは地色と吹雪の色の関係が全く逆になるのです。
単に「この色で吹雪を入れよ」という加工指示ではどちらかわかりません。
  
・なるべくイメージを変えずにシミやスレなどの難を隠したい
 というのであれば「A」です。地色そのままで吹雪だけ乗せます
  
・地色が気に入らないのでイメージを変えたい
 というのであれば「B」です。
  
「地色が派手なので、吹雪を乗せて地味にしたい」
という依頼がたまにあります。つまり「A」の方を希望されてるわけです。
地色を染めないと、派手地味の変化はほとんどありません。
そういってアドバイスをするのですが、
「せいぜい詰めてくれ」とか「せいぜい濃い色でやってくれ」とか言われます。
あまり美しくあがりません。
  
改めてロウケツ吹雪を見てください。

吹雪の周囲は適度にボケていて、むっくりと上品にあがっています。
3種ある吹雪加工の中では最も高級感のある加工法です。
  
長所
・高級感がある
引染で染色するので、ぼかすこともできる(本件の裾色は染めずにぼかして逃げてます)
  
短所
・加工代がやや高い(特に柄を伏せる(=養生する)必要のある場合)
・元の地色が吹雪色として残るのと、染色が引染であるため、元色の濃いめぐらいしか選択肢がない。
  
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