京縫い附下「O社」
非常に高価な色無地なのだそうです。
その地紋。
これに手刺繍で柄を入れて、色無地と附下の中間ぐらいのものを作りたいという注文です。
ミシンでは駄目で、手刺繍というたってのご希望です。
値段が随分違いますが、それでも構わない、やってくれということで、
手刺繍としては10年に1件あるかなしの大仕事です。
最初に草木柄、花柄などの図案をお見せしましたが、気に入らない。
この地紋を活かしたものにしたいという意向です。
じゃあ、菱型の割付文様(わりつけ=幾何学模様)にしようということで、話が固まってきました。
雛形(ひながた)。全体の構図を見るものです。
図案。菱型に収まる割付文様を色々描いてみました。
その中から若松の菱と、桧垣風のが選ばれました。
後は同系色という指定を聞いた以外は一任してもらいます。
こういう仕事は職人さんにある程度任せたほうが、その意欲をかきたてるので、いいものができます。
約1ヶ月、ようやくあがってきました。
下の桧垣風のものなど、京縫いの面目約如ですね。
実に多彩な技法がつめ込まれている。
一度京縫いの技法を紹介した本を見せてもらいました。
実布添付で、何十万円もするごっつい本です。
その技法は百種にも及びます。
消費者は縫い方を指定しようにも、それだけの技法があることすら知らないわけです。
今回の仕事は、職人さんの「見てくれ!」という意気込みが伝わります。
赤い花を黒く「N社」
これと一緒に同じ部分をコピーして指示を書き込んだ紙を持ってこられました。
いくつかの柄を黒く塗りつぶしてくれというものです。
柄色を地味にしてくれという依頼は日常的によくありますが、塗りつぶせというのはひどい。
柄が消えてなくなると思っておられるのでしょうか。
中々話が進まないので、Photoshopを使ってシミュレーションしてみました。
それがこれ。
通常このようなサービスはしません。
大層手間がかかるのと、シミュレーション画像通りにあがるわけではないので、トラブルの元だからです。
いくら黒くしても消えてなくなるわけではないし、絽目から裏に渡った糸が覗きますので、
柄の輪郭に元の色が残ります。
結局赤い花だけを黒くしてくれということになりました。
地味にするにとどめたらどうですかという提案は却下されました。
で、実際に彩色したのが下の写真です。
正面から写真で見ると消えたように見えますが、角度を変えてみましょう。
織で表現された物理的な文様はいくら色を変えても消えることはありません。
我々誂え業者の心得ですが、
消費者の依頼に対して、「それは具合が悪い」「代わりにこうすれば」という提案はしますが
それでも「構わないからやってくれ」と言われたら、もう逆らえません。
押し問答の挙句消費者の怒りを買うのが関の山だからです。
それと、消費者と対面で応対をする小売業などに問題がある場合もあります。
自身の経験が浅いために「それはおかしいです」「こうすればよくなります」ということが言えません。
「これこれで引き受けてしまった」「お客様のおっしゃる通りに」で押し通そうとします。
確かに言われた通りのことをやっていれば、文句を付けられることはないでしょうが、
着物にとってもお客様にとっても、よい結果が出るものではありません。
派手な地色「K社A-3」その1
またキレイなオレンジの地色ですね。
それに柄色がグリンで、補色といっていいような色です。
この地色を左の色見本の←印の色にしてほしいという依頼です。
染色というのは、上から色をかければその色になるわけではなく、
必ず元の色の影響を受けます。
脱色すれば別ですが、
足し算、足し算になるわけですね。引き算やご破算はありません。
ですからできる色とできない色がある。
本件などできない色の一例です。
それでも「できません」と断わるのは愛想がないですから、
「この程度で我慢してください」と試験染めを見せて照会することにします。
下のシアンがかけた色です。
上がオレンジとシアンの足し算でできた色です。
もっと暗い色になるかと思いきや、案外いい線までいけました。
これで照会してみましょう。
まれにお客さんの中で「この色をかけて欲しい」という人がいますが
結果どういう色になるか正確に理解しているとは思えません。
指示通りの仕事をしても「こんな色になるとは思ってなかった」ということになります。
「この色にして欲しい」というのが正しい指示の仕方です。